加藤紘一さんは、日本人の誇るべきものとして「自然」を挙げています。
森や川とともに生きてきた日本人は自然を征服するのではなく調和することを知り、それは万物に「カミ」が宿る信仰のあり方にも現われている、と。
いま、たとえば「自分は森と生きている」という日々の実感を持っている日本人はどれだけいるでしょうか。
それに、自然とともに暮らすなどと言うと、<地球市民>のような、国籍の枠組を超えたエコロジー思想の方に直結してしまう人も少なくないのではないでしょうか。
「地球市民」だからなのではなく、「日本人」だからこそ山や森を守ろうとする。そういう発想がいまの日本人の中に普通に織り込まれるようになったらいいなと思ってやみません。
しかしそうなるためには、なにかが足りない。
自然現象がカミと捉えられ、それが「天皇」とつながるということに対しての認識がすっぽり抜けているせいかもしれません。
野山で健康的に育った人でさえ、もはやそれをナショナル・アイデンティティとして捉え直すことは、たまたま高森明勅さんや小林よしのりさんたちの著作や言動に触れなければ、難しい時代になっている気がします。
かつて日本人が自然に持っていた感覚を取り戻すためには、まだまだいくつか足りないところがあると思います。
もちろんそれは小林さんの言うようにノスタルジーの枠組みで語るべきものでもありません。
また政治だけでカバー出来る問題でもないでしょう。
月刊WiLL今月号(11月号)「本家ゴーマニズム宣言」で小林さんはこう書いています。
「政治家というのは、国家に対する思想を体系立てていない」
では我々サイドで考えられるのはどのへんなのか。
そのレベルをひとつひとつ問い直すチャンスが今度の第7回ゴー宣道場なのかと思っています。
私から公へ、そして公と私について、皆さんの自分の現場からの意見など、一緒に話せるのをぜひ楽しみにしております。
応募しめきりが近づいてきました。
でもまだ間に合いますよ!